ゴム動力 プラ子の日記  〜 第20回め〜  

 

平成16年

11月22日(月)   HPのアクセスが1マン超えました!ありがとうございます。 この日記もなんとか20回、いったいいつまで書くのでしょうか(笑)

タミヤフェアに行ってきました。

さて、なにからお話しましょう。いろんなことがありました。いろいろな方々にもお会い出来ましたし、楽しい時間でした。フリマに興味を持って下さった方がどれほど増えたかは数字ではわかりませんが、出展するにあたっての疑問点や要望等、生の声も聞かせていただき、実りある2日間だったと思います。

会場の一角にタミヤニュースを見つけました。今日はそのお話にしますね。

タミヤニュースは古いものばかり全巻そろっていて、創刊号は1967年1月号。すべて手に取ることができました。

30年以上前の記事を読むと、当時はまだ大人がプラモを買うのが恥ずかしい時代だったようで、「いつの日か、親子でプラモ屋さんに行ける時代がくるといいな〜」って書いてありました。たくさんの親子連れでにぎわうフェアの会場に目を移し、あぁ、そういう時代にちゃんとなったんだな、ってウルウルしたりして。娯楽が多い今は、逆にプラモがその当時の子供、つまり今の大人のものになりつつある、だからこそ今模型少年を育てないと業界が尻つぼみになってしまう、という話もたびたび聞かれますよね。(業界の方は重々承知だと思います) そういう話を聞くと必ず私は、プラモ星人1号の成田さんのお話を思い出します。また、タミヤのスタッフの方はもちろんですが、会場で子供たちに組立教室を開いていたエアロベースさんもきっと同じような思いだと感じました。

彼(エアロベースさん)は、子供たちに教えることにストイックなまでの緊張感をもっていて、そのまなざしは真摯。商品はステンレスで繊細な作りなので出来上がりには相当な高級感があります。それを前にするとふざけていた子供たちも急に「これをさわっていいの?こんなすごいモノ、僕にもできるの?」と緊張し、真剣に説明を聞きます。(つきそう親もですが) 小さな手でピンセットやカッターを持ち目を輝かせているその様子に、通りかかった田宮社長が、作業机のところにしゃがみ込み、子供の目線でニコニコ眺めてらしたのが印象的でした。お写真を撮らせて頂きました。社長がうらやましそうに子供たちを眺めるお顔、本当はここでもお見せしたいのですが、我慢しておきます。

タミヤニュースの話に戻って、子供たちといえば海洋堂さんのプラモ教室の写真がすてきでした。前髪を短くまっすぐ切った子供たちが、座敷に並んだ長机を前に座りニコニコしていました。記事からは親御さんの反対にも遭い、プラモに対する偏見(?)や誤解を解くことにもご苦労された様子でした。子供たちのかわいい笑顔、パネルにしたいぐらいの一枚です。

TPMC東京プラスチックモデル協会さんの話もよかったですよ。40年前に喫茶店で、プラモ好きが集まってクラブを作ろう!という話になり一生懸命にポスターやチラシを作り(コピー機のない時代ですからね)ショップに貼らせて頂いたり苦労されて募集を出し第一回目の会合の準備をするものの、当日ジュースの粉(粉を溶かすジュースあったあった!)を忘れ、水しか準備出来ず。それでも300人ぐらい来たらどうしようとワクワクして待っていたら集まったのはたった6人、募集した側の人数を入れて9人。でも、その9人が強者だった・・・。その後100人を超える大きなサークルとなったそうですが、この手のお話にはなんだかフリマを連想するというかなんというか・・・ まるでプロジェクトXみたいなお話に励まされた次第です。

(プロジェクトXのナレーション風に読んで下さい)

・・・・突然、彼が重い口を開いた。 「しまった、ジュースの粉を忘れた・・」 もう一人が言った。「そうだ、水で行こう。」  みなが、うなずいた・・・。 

 (スミマセン) 

鳥山明さんのイラスト入り、手書きの記事には目を奪われました。ミニタリーものの魅力はどこにあるか、それは機能美につきるのだ、というお話です。いい加減なものを作ったら命に関わるから一生懸命作る。それでこその機能美。しかも実に控えめな態度(派手にしていたら見つかって死んでしまう)でいて、ここぞというときはビシッと決めるすごい奴。戦争をしたくてミニタリーを作るバカはいないからPTAは安心するように、というようなことを書いておられました。

他にも、「30円では実は赤字なので、カラーページは作れません」とか、それはもう読んでいてもぜったい飽きない当時のよもやま話も盛りだくさん。タミヤニュースをまとめた本も出ているそうですが、私が特に興味を持ったのは、読者の声の中に感じるその当時の思いなので、きっとその本の中にはあまり盛り込まれていない部分なのかもしれませんが。今度その本を見つけてチェックしてみます。

パクトラタミヤの単品販売始めます、という記事に、すり切れるほどタミヤニュースを読んだとおっしゃっていた土居少年(当時)の喜ぶ顔が目に浮かびました。8の字でお馴染みのCB750FOURの見開きの宣伝には「一つ一つ駒を組み上げるチェーン、駒80個使用迫力充分です」と吹き出しが。 そうか80個か〜。

今更ながらビンテージ物のタミヤニュースにはまってしまった私。家に戻ってから父に聞きました。「たくさんあった古いタミヤニュースどうしたっけ?」

「それなら、タミヤさんに全部あげちゃったよ。抜けてるところがあったらしいから。」

「え〜〜〜〜〜〜〜!」

全巻そろったあの中の数冊は・・・ がび〜ん   どうりで見たような字のメモ書きがあると思ったよ。   まさか返してくれともいえず・・・。とほほなのでありました。

次回は期間中に出会った人々について書くつもりです。 

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